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- 修道会の歴史・創立者 -

本会は19世紀の北ドイツに生まれました。その創立の経緯について簡単に述べるこ
とによって、本会創立の目的と霊性に触れたいと思います。


- 本部修道院 −
 
1857年、南ドイツのストラスブルグにあった聖十字架修道会から、二人の若い修道女が北ドイツのオランダとの国境近く、テュイネ村に派遣されました。それは、村のダル主任司祭の要請によるもので、子供達の宗教教育と病人の看護のためでした。その二人のうち一人が、後に本会の創立者となったシスター・アンゼルマでしたが、この時は、もちろん誰一人として、そういう将来の予測をした人はいませんでした。周囲の人々の必要から求められるままに、シスター達は貧しい子供達の教育や、病人の看護に日夜労苦を惜しまずに働き、祈りに支えられた彼女達の愛の奉仕は、村人達の信頼をすぐに勝ち得ました。仕事の量は増え、シスター達の数も少しずつ増して、彼女達は村の人々にとって、いつしか、なくてはならない存在になっていました。しかし、本部の所在地であるストラスブルグはフランス領になり、北ドイツにいるシスター達は本部との通信が難しくなりました。更に、ドイツとフランスとの間の争いは、村人達とシスター達の関係をも、困難にさせたのです。素朴な村人達は、自分達の愛する修道女達がフランスの人になってしまったことを悲しく感じているようでした。
司教様からストラスブルグに戻るように勧められましたが、ダル主任司祭からは、独立した修道会を創立してでも仕事を継続してほしいと望まれたのでした。その地域の人々にとって、シスター達の存在は、それほど重要なものになっており、教育・看護・司牧の手伝いなどにおいて、彼女達はなくてはならない存在になっていたのです。これは、大きな苦しみの時でした。心に抱く二つの深い愛に挟まれて、どちらかの選択を迫られたのです。自分の修道会への愛と、今、自分達が仕えている人々への愛と。
修道者は誰でも、自分の修道会を深く愛するものですが、そちらを選んでストラスブルグに戻れば、目の前にいる子供達や病人達は放置されるのです。かといって、テュイネに留まれば、愛する目上の姉妹達、そして自分を育ててくれた修道会と別れなければならないのです。苦しい選択で、心の中の葛藤は想像することができます。彼女達は長い祈りの後に、自分の修道会への愛着よりも、目の前の人々への愛を選びました。これが神の御旨であるという確信を抱いたからです。


こうして、1869年にシスター・アンゼルマのもとに新しい修道会が創立されました。創立の際には、将来への見通しも明日の保証も何もない状態で、人間的には全く無謀なこととしか思われない決断でしたが、ただ、神への絶対的な信頼のうちに新しい生活を始めました。そのような状態の中で、彼女達は生活の規範をフランシスコ会の戒律に求めました。貧しさ・単純・謙遜のうちに生き、神への全き信頼のうちに生きたフランシスコ、キリストにどこまでも従い、キリストの愛に焼き尽くされたフランシスコの精神に従って生きようとしたのです。また、創立者達はストラスブルグの聖十字架修道会から、多くの霊的な遺産を受け継いで残しています。そのうちの一つは、十字架上で私達のために開かれたイエズスの限りない愛の聖心に対する信心です。


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日本聖マリア管区本部修道院


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